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  Unbearable Dreams4−Lost Home
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インタビュー(アメリカ、ジョージア州にて) Mahmood Shah Salimi  
カブールの写真 Mahmood Shah Salimi
アッサムの写真とコメント    Rabijita Gogoi
・台湾の仮設住宅                         Yao Lee-chun
・インタビュー(台湾の盲人) Yao Lee-chun
キャンセルスタンプのパスポート  Zhao Chuan
祖父 家族の写真    八重樫聖
・インタビュー(日本の介護施設の老人) 中島彰宏

  ・インタビュー(アメリカ、ジョージア州にて) by Mahmood Shah Salimi 
当初インタビューはアフガニスタン国内にて行われる予定でしたが 、サリミ氏がアメリカ滞在中につき、
アフガニスタンと敵対関係にあるアメリカに住む市民へのインタビューにしました。
  ●サンドラ・フィッツサモン

私はジョージア州のサバンナに住んでいます。そこはわたしの生まれた町から110マイル離れたところです。私はそこで生まれ育ちました。ホームとはわたしにとって心の中の場所です。もし心の中にホームがなければ、ホームはないということです。私は、ホームを知らない子どもたちのために涙を流します。親をなくし、ストリートに置き去りにされた子どもたちは、ホームとはなにかもしらないからです。その子たちは、もしかしたら、ホームの意味をこれからも理解することはないかもしれません。私は戦火にさらされた世界中の子どもたちのために泣きます。同時にわたしはとても幸せです。わたしの子どもたちがいまは自分のホームをもち、ホームとはなにかを知っているからです。私の娘たちがまだ幼く学校に通っていたとき、同じクラスに小さなベトナム人の女の子がいました。その子のお母さんはベトナム戦争のとき、子どもをおぶって川を泳ぎ渡り、ベトナムから脱出しました。奇跡的に3人の子を背負って川を泳ぎきったのです。そのこどもたちは私の娘が育ったこの町で育ち、私の娘と同じクラスになりました。その子はなにもしゃべりませんでした。1年生の間中、一言も。彼女はクラスで成績は一番でした。ですから彼女はまちがいなく英語を理解していました。2年生になっても彼女は一言もしゃべりませんでした。3年生になったとき、私のふたりの娘が私をよびながら、学校から走って帰ってきて叫びました。「ママ、信じられないと思うけど、今日、ヤンヤンがしゃべったの。私たちみんなのことがすきだって!」そこはヤンヤンにとってホームになったのです。

●ジョン・ソートン

私はジョージア州のアトランタ出身です。私にとってホームは、まずアトランタです。サバンナにいるので、なつかしく思っています。ホームとは、また私の家族、友だちがいるところ、もっとも気持ちよくいられるところ、分かり合える感じがして、自分自身でいられるところ、人がどう思うか、なんと言うか気にしなくていいところ、私への接し方を知っているし、私も家族のことがわかっているから、私を適切に扱ってくれるのです。

●J・T・チェン

私はある意味でジプシーのようで、旅をたくさんしてきました。ですから、私にとってホームとは家族です。人は他人とくらし、家族をつくります…。私は最近妻を…、昨年妻を亡くしました。でももう彼女の声を聞くことはできません。ロスト・ホームというと、彼女のことを思います。

●ビル・クーパー

マサチューセッツ州のロウで生まれた。1歳のときに同じマサチューセッツ州のチャイムズフッドに移り、高校までそこで育ち、そこから13マイルはなれた場所に9年前までいて、ここサバンナに妻と引っ越してきた。わたしにとってホームとは、子どものころは自分の家で、親兄弟がいて、そこは安全で暖かい場所、よき場所だった。必要なものは親が用意してくれた。結婚して家を出た。私はとても若く、22歳で子どもが3人。今度は私が子どもに必要なものを用意することになった。そして、いかにホームをつくるのがむずかしいかを知った。私はフルタイムで働き、パートの仕事もして、学校にも行き、こどもたちを育てようとした。でも、生活はばらばらになり、結婚はうまくいかなくなった。それから、私のホームは私たったひとりになった。私以外に、だれもいない。とても傷ついた。子どもに会いたかった。しばらく子どもの居所さえわからなかった。しばらくして、子どもたちは私に人生に戻ってきた。私は養育権を得て、子どもたちをひとりで育てることになった。子どもたちは思春期前で、ティーンエイジャーになろうとしている時期で、とてもたのしかった。ふたたび子どもたちが私のそばにいたからね。私はすごく幸せだった。
 私にとってのロスト・ホーム?完全に失ったわけじゃないが、近かったのは、こどもたちが私からとりあげられていたとき、私は完全に自分を見失って、すべてをはじめからやりなおさなければらなかった。そのときはじめて、ホームが安全な場所でなくなりえるということを知った。
それ以来、どんなことがあろうと、あれ以上落ち込むようなことはないね。
 アフガニスタンについては、新聞やテレビで見る限りだけど、山がちの国だよね。爆弾が飛び交っているようなところで子どもを育てるなんて、どうしていいかわからないよね。とても正常な生活を送れるとは思えない。

●アリス・マウガウンAlice Mcgown。

私は南アフリカ出身で、今はジョージア州サバンナにすんでいる。ホームには、安全と感じられる場所と束縛される場所という2つの側面がある。ときには成長の過程で制限される場所でもある。私はまちがった性に生まれたと思う。家はいつも私にそのことを思いださせる。家族のそばにいるのは心地よい。また一方すべてを私は変えたいのだということを思いださせる。私がホームを愛する唯一の理由は、私が私でいられる場所でだからだ。私にとってホームは甘くかつ苦いものだ。
私のもともとのホームは、80年代半ばの南アフリカで、アパルトヘイトの時代で、とてもこことは違う社会だった。
家にいて両親がけんかしていると、そこはもはや安全な場所ではなくなる。家に住むということは、すべての人が戦っているということだ。どうやって安全であることを感じられるというのか。人々がしていることのすべては、私にとって安全を損なうように思われる。安全を確保するためにどうすればいいのか、なにが問題なのか私にはわからない。

マフムド・シャー・サリミ

私はマフムド・シャー・サリミMahmoud Shah Salimi 。アフガニスタン出身です。
今はアメリカのジョージア州サバンナに住んでいる。ホームは私にとってこころの状態です。心地よく、帰属感を感じ、支えられていると感じる場所、それがホームだ。どう感じるかで、それは具体的な場所ではなく、心の中なか、あるいは頭のなかにある。私はアフガニスタンをホームとは、少なくとも主たるホームとは考えていない。アメリカもホームではなく、友達や人々が私の周りにいて気遣ってくれるところ、それがホームだ。なぜならホームだと思わせてくれるからです。サポート、ケア、愛、それがホームだと思う。言語でもなく、地理的な事柄でもなく、境界、国境、民族、宗教でもなく、それぞれがどう感じるかだ。
ロスト・ホーム、私は私の人生で、何度も何度も繰り返しホームを失った。住んでいた国が30年以上戦時下にあり、退去、移住を繰り返し、それらの経験によってロスト・ホームという気持ちにさせられる。そういう経験が繰り返された。たとえば、私はパキスタンに2度移住した。そのときも私はロスト・ホームを味わった。私は世界のすべてをなくし、生きてきた場所をなくし、家をなくし、あらたに友達をつくり、ネットワークを作りなおし、新しい人間関係をつくり、仕事、などすべてをゼロからやり直さなければならなかった。
旅をし、ヨーロッパや様々な国に滞在し、移住し、ホームを作り直し…、現在私はアメリカに住んで3年になり、ここがホームになってきている。どういうことかというと友達がいて、ネットワークをもち、私が住む小さな世界を構築しているから支えられ、気遣ってくれる人がいて、人々がまわりにいて、だからホームだと感じる。もし、私が日本やアフリカやラテンアメリカ、どんな国に行っても、私の住む小さな世界が作れれば、周りの人からサポートやケアが受けられれば、それが私のホームなのだ。
私は何度も何度もロスト・ホームを経験している。退去や移民の経験は、ある意味で遊牧的生活といえる。その経験は私にロスト・ホームを想起させ、同時にホームとは物理的でも、国でもなく、ホームとは支えられ、帰属感を持ちえて、気遣われる場所、それがホームだと感じさせる。
ホームの構成要素は、もしかしたら、家族、友人、同僚、もし犬や猫と暮らしているとしたら、だれも人間がいなくとも、もし家に帰ったとき動物がいて心地よければ。ホームの構成要素は人によって、その人がどう感じるかによるが、私にとっては、私は家族から遠く、長く離れているため、ホームの重要な構成要素は友だちだ。たくさんの友だちがいて、旅をしており、そのひとりひとりが私の拡大家族のようなもので、世界の5大陸からそれぞれ誕生祝いのカードを送ってくれ、私は世界中に大きな家族がいるようでとてもうれしく感じる。
アフガニスタンについては、私はホームという感覚を失いかけている。戦争が繰り返され、戦争は生活のすべての側面を破壊し、ホームであるという感覚を失わせる。いつでも戦争状態であり、すべてのインフラが破壊され、わたしにとってより重要なのは生命倫理、生命道徳がすべて消えてなくなり、暴力主義が横行し、人々の振る舞いがあまりにも暴力的になり、ホームと思えなくなる。支えをなくし、ケアも得られないから。人間性、などがね。犠牲になってきた国、何度も何度も侵略されてきた国、アレキサンダー大王、チンギス・ハン、ティモール、ロシア、その前にはイギリス。今は侵略というかなんというか、NATOがなぜかいる。やはり侵略かな、人々が爆撃され、殺されている。抵抗する人々がいて、彼らは「侵略」と呼ぶ。解放のための戦いという人もいる。タリバンが排除されたから。いずれにしろ犠牲になってきた国、人々は戦い、殺され、それがアフガン人でもアメリカ人でも、NATO軍でも。だれかが死に、家族が悲しむ。それがアフガニスタンだ。アフガニスタンを再建するには長い長い時間がかかる、物理的に、インフラを整備したりするだけでなく、国として、国家として再建するのは、長い長い道のりだ。

物理的でもなく、地理的でもなく、ホームは心のあり方だ。そこにいる家であり、住んでいる国である。宗教ではない。すべてはホームをいかに感じるかにかかっている。ホームと呼ぶもの。帰属すること、守られていること、安全であることをどのように感じるか。
ホームは人が愛を、心遣いを、安全を見いだすところ。友と家族とともにある。何者かのための地理的なボーダーでもなく、イデオロギーの境界でもない。心と精神にかかわることである。

私はこれまでの人生で何度もホームを失った。30年にわたる戦争と移住生活が私の心と精神におけるホームの意味をあいまいにした。私は町から町へ、国から国へ遊牧民のように彷徨ってきた。毎回、ホーム−新しい友だち、新しいネットワーク、新しい仕事、新しい人間関係をつくるためにもがくことから始めてきた。幅広いネットワーク、たくさんの友だちをもつことはよいことだが、もがきながらホームをつくり、それを失うことは苦痛をともなう。そして、再びつくるのだ、何度も何度も。

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カブールの写真

 

 

A newly built playground in Kabul, Afghanistan.

 

Daily life struggler.

 

 

Affording his family.

 

 

Displaced Afghans who got devastated in the Civil War (1992-1996) caused by Mujahedin fighting parties.

 

Estalif, a district in Parvan province located in the north of Kabul, destroyed in the war between Taliban and Masoud’s fighters (1996-2001.

 

 

 

A view of Kabul city after collapse of Taliban.

Women participants of the New Year’s celebration in Mazar city, 2004.

New Year’s Day celebration in Mazar city. Over eight hundred thousand men and women gathered in a shrine to participate New Year’s religious ceremoney, 2004.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Kabul city, Afghanistan.

Post Mujahedin and Taliban reconstruction.

The civil war (1992-1996) among mujahedin fighting factions that resulted in death of thousands, migration of hundreds of thousands, and left the country in devastation.

One of the thousands of war victim begs on the streets of Kabul.

The greed of Mujahedin parties (1992-1996) seeking control over Kabul city launched Afghanistan into a downward spiral that devastated the entire country.

 

Dry fruit, Afghanistan’s main export to Europe and Asia.

New Year’s Celebration. Storytellers narrate stories of religious figures.

 

Blue Mosque located in Mazar city north of Afghanistan. Biggest gathering place for New Year’s celebration in Afghanistan.

 

 

 

 

 


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・アッサムの写真とコメント   by Rabijita Gogoi
 

 
 

 

In extreme northeast of India, In a village of Nagaland state, Who knows where the men of the families had gone out? For your information, Many of them never came back, sometime the death bodies or some time a torn piece of cloth reached back home.

The Empty Home

Flood gives the right to the animals to survive together with the humans. Did you heard of a place called Assam?

In search of a new Home

People come from Bangladesh n search of a Home in Assam.

 

What is Colour Red? Is it a symbol of Glory or Violence? In a land of one horned Rhinoceros, Youths finds road to their future Homes through the Glorious Bihu Dance finding sexual partners.

 

Every now and then it a Tianmen square here in Assam.

 

Now Death does not make people cry?

 

People watch Bol fight, People demands Bul Fighting, People wants them to be fighting ,

They want to be entertained?

Keep entertaining us!

 

We are not allowed to live life. Death is our Birth Right.

Let Us Die

Fishing in a R for river

 

Fishing in a R for Road

 

Everything is same as. Only difference is Road or River

 

A black street....................

A black street echoing with the melodies of a Village.......Women and Children are the host of that space They are dreaming of bright morning to wake up to see the beautiful World. The Flood wipes out yesterday’s garbage of thoughts - a long road is in front of him, her and us; a black snake....A Black Snack is lying instead of the road. On one has discovered.

 

Road at Home

Where is my identity now? I am death. Aches of burning value of life are flying high in the wind.

 

My people, My River, My Land, My man, My Water, My Language, My name, My Sur name, My folk, My air, My Home…………my future………..…………………………….  my…..my….my…..my…my….my king, my property, my Tree, my     

MY , Me and I

Let us Dance Classically. I don’t belong to this time. I am a classical Artist in classical time. I am not living, I lived.

 

The wide street between Me and my Home is far. I am getting old and can’t see even far. The effort to make my grand Child an eligible man - is a black snake again. Water is becoming currency at the peak of inflation. What can we do! Our welfare state’s planning is in cold storage for the last 56 years. We are waiting since when it is difficult to remember.......

 

 

 

 

 

 

Who says this is a Salter Home. This is my Home.

 

They lost Home. They migrated from their home to a wt and of Assam.

 

Human being dream - wants to fly. They fly high in the sky & lands on earth which is already determined. They lost the dream while flying. Now the dream and landing are two different dream to realize.

 

 

 

 

 

We are not waiting for women’s right. We are waiting for the day to go back Home

 

 

 

 

 

In the Road of Lost home

 

Let’s Make new Home

 

 

 

 

 

 

 


 
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Cancelled Pasport
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  祖父家族の写真      
         
 
    家族写真 母と祖母 曾祖父と祖母
 
  叔母さんと叔父さん 陸軍経理学校 慰問団で満州へ向かう叔母 学徒動員