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参加団体紹介 (※記載は参加時)
97   1998    2001   2003  ///  Profile 22005      2010  
English  ☛2001  ☞2003 ☛2005    ☛2010

1997  Asia meets Asia Vol.1
 
 城 Castle Theater  『正祖大王』 The great King of Jung-Jo  Suwon/Korea
1983年、演出家を中心に、ソウル近郊の水原市を拠点に活動を開始。演劇の現代的発展を模索する新しい形式美を追求しつつ、地域の歴史的素材の現代化を通して自国の文化的アイデンティティを問う作品を創り続けている。今回作品『閑中録』は朝鮮時代の激しい政争に翻弄された父子の悲劇を、母(女性)の視点から描きだす。狭い暗闇に響く父母を呼ぶ子の叫びは「サドセジャ」の物語として今も人々の心に残る・・・
代表:金聖悦
   
   
● 撞Crash  『五十年蟲症』 "Hong Kong Fifty Years Bugs" Hong Kong 
 

"Clasは、香港の社会運動に文化的な面で大きな力を発揮してきた「民衆劇場」(PeopleTheater)の創立メンバーを中心に、アーティスト達の集合体として、1998年に設立された新しいアンサンブルです。――「民衆劇場」は1981年の創設以来、アジアの他の地域で同様な志向を持った劇団と交流を続け、東南アジア各地へのツアーも含む「アジア民衆劇場フェスティバル」を3回組織し、1997年にはインドのオルタナティブ・リヴィング・シアター(カルカッタ)と共同作品を創作しインドツアーを行っている。
Clashは、より香港の社会に深く根ざした地元に密着した活動を目指し、劇場ばかりではなく街頭でも、観客の自発的な参加を促す公演活動を行っている。集団は平等な共同創作の形態で運営されていて、作品には古いものと新しいものが混在し、時に衝突することもある集団の発想と個人の意識が共存する。公演では、香港及び中国の歴史や文化に基づく事柄を題材に、インプロビゼーションや身体表現、オブジェ、特殊な装置を使ったボーカリゼーション、など様々な手法を取り入れた創造的な舞台により、観客との生きた交流を創り出している。現在、外国からのアーティストや一般の人までも含めたワークショップ活動を盛んに行い、そこから生まれる公演(Playback Theater)を中心に活動している。




 
● DA・M Theater ”Walking” Tokyo Japan
http://da-m.art.coocan.jp/
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1998 Asia meets Asia Vol.2
   
● Alternative Living Theater 『第3戦争』"TTHIRD WAR" East Benbal/India

劇団主宰者であるProbir Guha (1947生)は、西ベンガル地方を中心に、新しい理想や人間精神の変革を目指し、商業主義、地方自治主義、偶像崇拝、政治的無関心等に反対する立場で常に社会と深く関わりあう創作活動を続けている。Alternative Living Theaterは声、歌によりメタファーが具体化される。その意味で「開かれた、生きた演劇」なのだ。またこの間、グハは、世界各国にて有数な演出家との共同作業やワークショップも手掛けている。
代表:プロビール グハ
 

 
   
● 單單表演工程 Dan Dan Theater Production ”Aku”  Kuala Lumpur/Malaysia
 

1992年4月に幾位芸術学院演劇科の卒業生と教師によって旗揚げされた單單表演工程は、マレーシアの乏しい演劇環境下にありながらも、断えず演劇に新しい活力を注ぎながら、様々な形態の公演を精力的に行い、各方面から多くの称賛を得ている。リーダーのスン・チョン・ミーは、マレー大学、地方のテレビ局、での演劇講師やコラム執筆をする傍ら、現在、マレーシアの舞台芸術についての比較論をまとめている。『三代』では過去3代にわたる女性の姿を通して、マレーシアの歴史と人間の幸福とは何かを問いかける・・・
代表:スン・チョン・ミー

 
   
 城 Castle Theater  『正祖大王』 The great King of Jung-Jo  Suwon/Korea
  1997年参照 See above
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● 商品劇場 『マデュバイ小学校奪取』   Tokyo/Japan

92年に結成された商品劇場は、主宰・大岡淳の演出作品上演の活動の中心に据える演劇制作ユニット。演劇を「西洋化」の道具とう役割から解放し、「近代化」を推進した深層エネルギーに触れる媒体と再定義して、ヨーロッパ周辺部の諸文化に範を仰いだ作品をつくり続けてきた。『マデュバイ小学校奪取』は、フランスのポストモダン・フェミニズム理論家エレーヌ・シクスーが、インドの女盗賊プーラン・デヴィを主人公にして描いた戯曲の上演である。 
代表:大岡淳

   
● ムーニング 『しけた駅のしけた改札』  Tokyo/Japan

ムーニングは、1989年に小林真、瀬戸純一郎、鷲尾敬子の3名で結成された。近年、「音のある風景劇」と題して、台詞を省き、俳優の動きと音楽のイメージによって、短いシチュエションを紡いでいくという表現方法を試みている。新作「しけた駅のしけた改札」では、ある小さな駅を舞台に、暇な駅員と、いろいろな思いを抱きながらしけた駅のしけた改札を利用する人々の出合いと別れの風景を、様々な音楽にのせて描く。
代表:小林真

   
● ストアハウス・カンパニー 『箱』     Tokyo/Japan
 

1995年、木村真悟が16年間主宰し、台本・演出を手掛けた劇団七転舎を解散し、公演毎に出演者を募集・選定し、ワークショップを経て公演を行う劇創作集団として設立。主宰する木村真悟は1984に設けたアトリエを94年に本格的な小劇場『江古田ストアハウス』に改装。"劇場から劇を発想すること"を目標に劇場業を始動。プロデュース公演、提携公演の企画・制作に携わる。一方、ストアハウス演劇研究所を主宰。研究生の指導、一般参加者のワークショップ等を行っている。
代表:木村真悟

   
DA・M Theater ”Daydrem Horison Inpro.” Tokyo Japan
http://da-m.art.coocan.jp/
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2001 Asia meets Asia Vo1.33  ☛2001 English
   
● Theater Mandiri WAR  Indonesia

1971年Putu Wijayaによって設立。"Mandiri"は、自立を意味するジャワ語。劇団は家族的で、作品は台本からではなく参加するメンバーによって形成される。目標は"精神的な恐怖"、つまり見る者を乱し、ゆさぶり、長く当然と考えられてきた価値を再検討することにある。 1974年からジャカルタとインドネシア各地で公演を続け、1991年アメリカ4都市ツアーにて「YEL」、1998年現代インドネシア・アートサミットにて「NGEH」を公演。代表のPutu Wijayaは、インドネシアの現代演劇、文学の中で最も著名で多作な人物であり作品のいくつかは世界各国で翻訳され、多数の国際的な賞を受けている。今回は戦争をテーマに、人々がそれを憎しみながらも絶え間なく続く戦争<世界戦争、宗教戦争、家族戦争、民族戦争、愛の戦争・・・>の矛盾を問いかけ

  Director: Putu Wijaya
Staffl:: Dewi Pramunawati, Egy Massadiah Serojag
Cast:  Putu Wijaya, Alun, Bambang Ismantoro, Egy MassadiahAguy Sabarwati, Ucok Hutagaol.
▲舞台写真  ▼詳細 Details (English)
   
● Makhampom Theatre Group  CHAO LAR returns    Bangkok/Thai 1981 
 

70,80年代の民主化運動から生まれた地方演劇グループ(1981年設立)。伝統的、現代的な上演様式を結合するスタイルを発展させながら、麻薬乱用、民主主義、環境保護、子供の権利等の諸問題を提起し多くの支持を得ている。国内各地やイギリスやドイツ等の海外公演とともにワークショップやトレーナー養成等の活動により地域文化開発などに力を注いでいる。今回の公演"CHAO LAR returns"は古代タイ北部の民話"PRA LOR"をタイの麻薬問題と絡めて脚色したもので、1994年にバンコクのスラム街20ヵ所で初演され、地元の観客に大きな反響を呼ぶ。舞台はタイ語と英語による会話に、舞踊と音楽や歌唱を加え、身体的想像力を強く喚起する、言語の壁を超えた作品に仕上げている。体的想像力を強く喚起する、言語の壁を超えた作品に仕上げている。

作品紹介

Tour manager/Co-ordinater KWANHATHAI BOONLUE
Artistic director PRADIT PRASRTTHONG
Actor SOMSAK SIRIPAN
Actress YADA KRIANGKRAIWUTTIKUL  DUANGJAI HIRUNSRI
DUANGKHAE BUAPRAKHON SUTARA

 
 
  ▲舞台写真詳細 Details (English)
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● Body Phase Studio 『黒洞』 Taiwan 1992
 

今回作品:Black Hole(2001 version)
〜1999大地震の犠牲者と台湾の歴史の幻影とが地下で待ち合わせ!
1992年以降、環太平洋地域の芸術グループとの沢山の交流プログラムを主催。1995年台湾の先住民族の言語によるオイディプスをプロデュース、北京と台北にて公演。代表のMo-lin Wang は、多くの演劇批評を手掛け、1980年代から活発になる台湾の小劇場運動の中で常に大きな影響を持ち続けてきた。今回の舞台は、台湾921大地震の後に現れた私の夢の世界、マスメディアの報道、そしてカフカの中編小説『穴巣』、Lundkvistの長編詩『阿加迪爾(アジャディル)』(1960年モロッコ大地震の史詩)、ブラジル第三映画の中の『食人宣言』、さらに役者の稽古中の身体(声・動き・想像)、私にとって最も重要な『聖書』などのテクストやイメージを凝視する過程から生まれてきた意象によって構築されている。

構成・演出: 王墨林
出演:王仁千 劉懋璋 劉懋瑩 王惠強 洪麗芬 鄭志忠 

  ▲舞台写真 ▼詳細 Details(English)
   
● unit OM-2 いつか死んでゆくであろうすべてのものたちへ  Japan Tokyo
 

OM-2の主要メンバーから成るユニット。演劇、ダンス、パフォーマンスなどのジャンルを飛び越え独自の表現を模索する。
OM-2は'80年に結成され、前衛的で実験的な作品を発表し続けるグループ。'94年より海外での活動を開始。シンガポール、カイロ、ボルドー、N.Y.など世界各国のフェスティバルに招聘され高い評価を受けている。また海外のアーティストとのコラボレーションによる作品づくりも行なっている。その他にソロあるいはユニットを組んでの活動もあり、様々なフェスティバルなどに参加している。

出演者:内田久美子、村岡尚子、中井尋央、佐々木敦、柴崎直子、早貴弓夏、町田則子 浅村信夫
スタッフ:監修/真壁茂夫  美術/池田包子、鴫原史江、萩原康吉 他
 

舞台写真 ▼詳細情報

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● ジンジャントロプスボイセイ Zinjanthropusboisei デンQ Tokyo 1994
 

ジンジャントロプスボイセイはアフリカで発見された最古の人類の学術名。化石人類の視点から、どの時代・社会にも属さない神話のような世界を構築し、現在の私達の人間関係に新たな角度から光をあてる。演劇とパフォーマンスの領域を越境する新しい表現を指向。1994年設立。最近作 2000年1月"i am sleepy..."アートスフィア 2000年9月"青ひげブラジャー"スパイラルホール 今回の作品について:電球。光と熱を放つ涙の形。涙は少しずつ数を増し、やがて光の海となる。涙の海の向こうに"私達"はきっと誰かを求めている。それが誰かを知っていたり知らなかったり。ジンジャントロプスボイセイが挑戦する"ほとんど"無言劇は感傷的で美しい叙情詩です。

作/演出:中島諒人 出演:蔭山千幸 高橋等 齊藤頼陽 矢部久美子 
スタッフ 舞台監督:赤羽三郎 音楽:スズキクリ 衣装:熊崎つゆみ メイク:デボラ  舞台美術:中島諒人  制作:秋田佳子
▲舞台写真 
▼劇団HP http://www.apes.co.jp/zinjan/

 
 
● DA・M Theater   Tokyo Japan
  1997
1998『真っ昼間の地平線〜Daydream Horizon Impro.』

2001『トマトをたべるのをやめたとき』

1986年設立。<プロト・シアター>を拠点に劇団やジャンル、国籍の枠を越えたアーティストたちとの共同的な実験公演を精力的に展開。物語やテーマを持たず、観客と向き合う<今、ここ>に立つ素裸の人間の断片的な行為・言葉/声・イメージの構成により、<生そのものの揺らめき>を探り出そうとする。1995年より国内外のフェスティバルや公演にて、「それは私の夢じゃない」「aruku/アルク」「IL VULCANO」を発表。集団的な即興行為の発掘・組織化により、始源性と今日性の融合する未知の演劇的想像力を開拓し続ける。

今回の『トマト・・・』では、何でもない日常と隣り合わせにあるもう一つの現実を夢想しながら、連綿と続く有形無形の、静かで激しい、動きの混沌を舞台に創り出していく・・・何のため、誰のため?「答えは呼吸のおく」

出演:サキ 八重樫聖 今井あゆみ 中島彰宏 都丸永子 
音楽:竹田賢一(エレクトリック大正琴)
構成・演出:大橋宏
 ▲舞台写真 ▼劇団HP http://village.infoweb.ne.jp/~dam/

 
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2003 Asia meets Asia Vol.4     ☞2003 English
   
● Theatre Bazy   From Iran

Baziは、ペルシャ語で「話さない」という意味で、イランではマイムのひとつのジャンルを指す。Bazi劇団は、言葉を多用せず身体行為とともに視覚的な効果を多様し、ジャンルを超えたブラックユーモアと批評性に富んだ魅力的な作品づくりに取り組んでいる。イランでは非常に数少ない実験的グループの一つである。政教一致の宗教国家から爆発的な変化を遂げつつあるイラン国内の社会状況下で活動しつつ、近年は1998年にバングラディッシュ、2000年イタリー、2001年パリ、ドイツ、2002年NY エジンバラと精力的に海外公演を行い、国際的にも高い評価を得つつある。今回作品では、一人の教師と聾唖の少女の関係が描かれる。教師は少女に初歩的な技能習得のための訓練をするが、悉く失敗に終わる。教育は、少女にとって抵抗のための武器でしかない。作品はかごの中で上演され、空間はパブロフ心理学を連想させるが、それ以上に、強いられた社会的条件に対する実存主義者的な立場からの無言の怒りの表現なのである。この作品は、精神的な力の途轍もない内的な強靭さをみせてくれる。

作品  The Mute Who Was Dreamed       Time : 60 minutes 
   〜A play without dialogue セリフのない演劇
  Writer,set designer and director  Attila Pessyani
  Cast Fatemeh Naghavi trainer トレーナー(教師)
Setareh Pessyani the girl 少女
Khosrow Pessyani the boy with umbrella 傘を持つ少年
Attila Pessyani the dream 夢
  Dramaturge: Mohammad Charmshir
  Assistant director: Siroos Hemmati
 

シノプシス
ひとりの聾唖者、聾唖で盲目の少女が、教師の訓練と教育を受けている。トレーナーはなんとか少女の世界の内部に入ろうとする。この絶えず続く対立のなかで、少女は教育によって獲得したツールを、いかにトレーナーと教育そのものに対抗して使うかを学ぶ。

劇団名のバジーとは、ペルシャ語でマイムのひとつのジャンルを指す。舞台は言葉を多用せず身体行為とともに視覚的な効果を多様する。演出家の彼は、ブラックユーモアを含んだ批評的、実験的な作品に取り組むイランでは非常に数少ない演劇人の一人である。1998年活動を開始以来、1998年にバングラディッシュ、2000年イタリー、2001年パリ・ドイツ、2002年NY、エジンバラと精力的に海外公演を行う。この作品では、精神的な力の途轍もない内的な強靭さをみせてくれるだろ。

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● NAAS Acting Company,
 

Iraqi artists in Exile (Germany & Holland) 亡命中のイラク人アーティストのグループ(ドイツ、及びオランダ在住
コーディネート担当のEl-Amari博士は、ベルリンを拠点とする「ユートピア93」を組織し、ベルリンの壁崩壊後における現代芸術の多文化的発展において、南北を隔てるあらゆる壁を取り除くことをテーマに活動している。当初、イラクの来日メンバーは中東から参加する予定だったが、イラク戦争開戦とともに、彼らは消息不明となったため、彼女はヨーロッパ在住のイラク人亡命アーティストによるグループで来日することとなった。――イラク戦争時、国外難民として生きる女性、一方国内に留まり空爆下で生きる女性。異なる状況を生きる二人の女性の間に交わされたサイバー・コミュニケーションは、機能不全状態に陥り、画面は重なり合うイメージで溢れかえる。Santurというアラブ伝統楽器が奏でるリズムにのせた舞台は、アラブの伝統的表現を用いながら、ニュース映画の「真の意味」を問いかけ、マルチメディアと戦争で引き裂かれた魂の混乱を憤りとともに浮き出していく。今回のアジア・ミーツ・アジアのために製作した、新鮮な芸術的実験を携えてイラクのアーティストたちが前進することは、戦争による精神的傷跡に抗するきわめて勇気ある一歩であ る

 
作品  FIGURES FROM IRAQ,                                       45- 50 minutes
Producer and author: Faris El-Mashta
  Dramaturg:Prof. Dr. Lamice el-Amari
  Musician:Wesam Al Azzawy
Performer:Zeinab Al Mashta Jabber Kassab Abdulhadi  Ishtar AL-Mafraji  Nadia 岩井さやか 
 

シノブス 
戦争の直前、そして開戦後の数日間、イラクの少女(Basma)は、インターネットで亡命しているいとこ(Zaynab)と連絡をとっている。彼女は、戦争について、またイラクに留まる彼女の家族や友人たちの状況について手紙や写真を送る。しかし、インターネットはイラク政府と連合軍の双方から二重に監視されている。その上、Basmaのコンピューターは、ほとんどのイラクの機械と同じように、経済制裁以前に作られたとても古いものだ。そのため、彼女のコンピューターの画面には、興味深い、混乱した場面を呼び起す、重なり合った画像や多くの物語が映し出される。俳優たちは、代表的なアラビアの楽器であるシタールの演奏とともに、ときには悲劇的に、ときには喜劇的に、そのようなほとんど超現実的なイメージを舞台上に創り出す。

Basmaは、近所の女性エンジニアのFatimaと彼女の妹、Hananのことをいとこに語る。サダムの戦争で非常に多くの男性が殺されたので、Fatimaは結婚できるかどうか不安を感じている。彼女はずっと独身でいたくはない。そのため、年老いた男との結婚に同意する。しかし、その外国暮らしの見知らぬ男は、ほんとうに彼女と結婚しにくるのだろうか?

第2の電子メール
Basmaは、いとこにバクダッドを震撼させたニュースを書き送る。退役した病気がちの将軍が家のすぐ外で車椅子ごと失踪した。かれはどこへ消えたのか?誘拐されたのか、殺されたのか?将軍の妻と娘が捜索にでかける。彼女たちの旅が、イラク社会の悲喜劇的な断面を明るみにだす。
第3の電子メール
コンピューター画面の画像が、衝突し、錯綜する。Basmaは、サダム大統領統治下、警察に連行されないために20年間も自宅の地下室に身を隠していた男について書き送る。Zaynabは、集団墓地と、そこで愛する者たちの遺体を捜す人々を見る。その人々の中に叔母がいる。その叔母は、23年前に失踪した行方不明の夫を探し出すことができるだろうか?見つけ出せるだろうか?彼女は、夫の遺体を発見するのか、あるいは夫は生きていて、とうとう彼女のもとへ帰ってくるのか?
最後の電子メール
 Zaynabの古い、データを詰め込みすぎた、しかも厳しく検閲されているコンピューターが壊れてしまう。Basmaは書き送る。「イラクに戻って来て、あなたが必要なの。」
Zaynabはなんというだろう?

  ▲上演台本
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● Centre for Asian Theatre(CAT)    Dhaka, Bangladesh

CAT(1994年創立)は、バングラデッシュ唯一のプロフェッショナルなレパートリーシアターである。西欧や現代ベンガルの作品を、古典的なサンスクリット演劇や民族的な形式などアジア的表現方法を取り入れながらも、新しいスタイルで上演している。その他、「子供のための演劇」プログラムや、国際交流の促進を目指すワークショップやセミナーを展開。ノルウェイとインドとの交流が特に多い。演出のK.Niluは、伝統と現代との衝突と融合を模索しながら、他のアジア現代演劇のアーティスト達同様、演劇言語の探求に取り組んでいる。幅広い上演歴の中には、毛沢東時代の中国革命オペラの上演記録もある。今回の上演は、サンスクリット演劇の叙事的物語から発展させた反戦をテーマとする作品で、ベンガリ(バングラ)の民族的な演劇様式や儀式、コーラス、ダンスとともに近代的なテクニックの諸要素を実験的に取り入れている。通常、激しい戦争シーンは、文学的言語によって表現されるが、彼らはアクロバット的な動きを強調し、伝統スタイルを打ち破っている。

  Director Kamaluddin Nilu
  Performers  Monir Ahmed Shakil   Sabina Sultana  Sardar Aftab Uddin Delwar Hossain Dilu   Shahadat Hossain  Abul Kalam Azad Shetu
Sathi Sarker  Anwar Hossain Chowdhury
Rafi
 

 Urubhangamは、現存する最古のサンスクリットドラマのひとつである。2世紀か3世紀にBhasaによって書かれた。インドの偉大な叙事詩マハバーラタの中の、最後の戦いの描写に触発されたものだ。Urubhangamは、Centre for Asian Theatre(CAT)の上演のように、主要登場人物であるDuryodhanaが、戦場で瀕死の重傷を負った後の精神的な成長を通して、反戦を表現する芝居である。この上演は、サンスクリットドラマの特徴を保ちながら、民族的な様式と演劇運動のなかで生まれた近代的なテクニックを混合し、非写実的なアプローチを試みたきわめて実験的な作品である。

 Urubhangamは、ヒンズー教のカースト(世襲制階級)のクシャトリア(軍人と支配階級)に属する兄弟の子孫である2つの名家、Kauravas家とPandavas家が敵対するところから始まる。それまでの確執の結果、Pandavas家は数年にわたる亡命生活を余儀なくされる。しかし、Pandavas家は帰還し、世襲財産を要求した。Kauravas家はその要求を退け、その結果戦争が引き起こされた。物語はSamantapanchakaの戦場の場面へと導かれる。Kauravas家は打ち負かされ、何百人ものKauravas家の男たちが殺された。ただひとりDuryodhanaだけが生き残り、彼は何百人もの兄弟たちの死に対する復讐を願う。
 ほら貝の音―戦争が差し迫ったことを示す―が聞こえる。その音に引き続いて、音楽と踊りでこの芝居の作者であるBhasaの栄光を讃える上演前の儀式が役者たちによって行われる。これから始まる破壊的な戦いで重要な役割を果たすふたりの王、Kauravas家のDuryodhanaとPandavas家のBhima Senの歌をコーラスがうたい、ふたりが登場する。
 Duryodhanaが、象に乗り、兵士を従えて戦場にやってくる。ケトルドラム(nakara)が打ち鳴らされる。兵士たちは歌う。まるで戦場に赴くのではなく、楽園に住む妖精たちの花婿の選抜会に行くかのように。
 Bhima Senも現れ、2人の王による棒術による戦い(gada)がはじまる。そして両家の兵士たちがその戦いに参戦し、血で血を洗う戦いへと発展していく。戦いは何時間も続き、やがて地に倒れているDuryodhanaがみえる。

 語り手が、戦争は王や兵士の命を奪い、象の命も奪ったと述べる。
 近隣の同盟国の王であるBaladevとDuryodhanaの恩師(garu)が傷ついたDuryodhanaに近づく。Baladevは激怒し、Bhima Senがルールを破ったことは許せないと主張して、復讐したいと望む。しかし、Duryodhanaは同意しない。彼は彼がだまされたのだという見解には同意せず、何百人ものKauravas家の人々が死に、彼自身も死に赴こうとしている今、これ以上の戦争は何の意味もないと主張する。Duryodhanaは、ここで起ったことは最高の神の思し召しにちがいないから、復讐しないようにBaladevに頼む。
 Duryodhanaの父である盲目の王Dhritarashtraが、Duryodhanaの母、Gandhariを伴って息子を探しに戦場へ現れる。ふたりは息子の惨めな姿をみて嘆き悲しむ。何百という英雄の父であるDhritarashtraは、棒術の戦いにおけるペテンによって、先の戦いでただひとり助かった息子が、永遠に自分のもとから去っていこうとしているのを見てひどく動揺する。両親に最後の別れを告げるDuryodhana。


 語り手は、Duryodhanaが彼の妻にどのように最後の別れのことばを伝えたかを語る。そして、彼の息子に、Pandavas家は父方の親戚であるから、彼の死後 Pandavas家に奉納物を送り、将来は彼らを讃え、仕えるようにと助言する、と語る。
 このときほら貝の音が再び聞こえる。恐怖で何百羽もの大ガラスが飛び立ちはじめる。まるで戦争が終わるどころか、あたらしく始まろうとしているかのようだ。Asvatthamaが、突然弓を手に持って悲しみに沈む戦場に現れる。ビュンとうなる彼の弓の音がパニックを引き起こす。
 AsvatthamaはDuryodhanaに、KrishnaとPandavas家に教訓を与えるために戦う準備はできていると誓約する。Duryodhanaは、これ以上の無益な戦いは控えるように、と彼に助言する。Asvatthamaは、Bhima Senはあなたの腿を粉みじんにしたばかりでなく、あなたの誇りをも辱めたのだとDuryodhanaを説得しようとする。Duryodhanaは言う。王とは威厳の象徴であり、私は英雄として自らの名誉のために戦った。このとき、語りが物語を中断し、意見を述べる。Duryodhanaの窮状は、何年にもわたる難民生活でPandavas家が被ったあらゆる不正よりひどいとは言えない、と。しかし、AsvatthamaはDuryodhanaに言う。邪悪なBhima Senがあなたにしたことに対して、我慢することなどできない、と。そして夜にはPandavas家の者を一人残らず焼き殺す戦いを始めると誓う。Baladevは、Duryodhanaに言う。彼がひとたびPandavas家を破壊しようと決意したら、なんびとといえどもAsvatthamaを押しとどめることはできない。
 Duryodhanaは松明のあかりに囲まれていることに気づく。まるで森が火事で燃えているように彼には思われる。語り手が語る。Duryodhanaが見ているのは松明の明かりではなく、Duryodhana を永遠の世界へと運ぶ車として大気を送る7つの海、大洋、ガンジス河、ジャムナ河である。Duryodhanaは悲痛の内に死を迎える。

 
 
 
 
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 Asia meets Asia 2003 Collaboration Project No.3

1997年よりこのアジアミーツアジアにて交流を深めて来ました劇団DA・M(東京)とClash(香港)の共同作品(2000年)の2作目になります
今回の共同公演では、台湾の盲人達による劇団Shin Bao Dao Blind Theatre
から3名、そして外部に開こうと急速な変化を遂げつつあるベトナムより若い女性アーティストが1名新たに加わりました。
――夢を見ることは人間の休養での最も重要な活動である。 まだ体が休んでいる時に、知性は興奮して働き始めようとする。 けれども大抵我々は目が覚めた時には、ほんの少ししか思い出さない。 その忘れられた場所にパフォーマー達は分け入ろうとする。を入れた。 忘れ去られた世界に交信し、足を踏み入れとようとするだろう、それは同時に石仏が崩壊が呼び覚ますように。(彼・それ)らは時間と空間を広げ曲げ、イメージの境界をなくし、奇妙に繋がり、持続し、あるいは重なり合う。場面は突然移行し、 いくつもの時と場所が同時に存在しはじめるだろ

台本や演出を持たず“0”の地点から共同作業が開始されます。さまざまな境界を越えてワークショップを重ねながら、言語や文化の壁を越えて”私”と”他者”をブレンドし、「混乱する時代」に向き合う新たな劇的想像力の可能性を突き出そうとするアジアミーツアジアならではの冒険航海です

 
  監修:湯時康 Tom Tong Sze Hong(Clash/香港)  
王墨林Mo-lin Wang(台湾)/大橋宏 Hiroshi Ohashi(DA・M/日本)
  音楽:邱立信 /駱竟才K.C.Lok /竹田賢一
  Performer
  Hong Kong:朱秀文 ?美玲 袁堅? 湯時康
  Taiwan:李新宝 廖g 廖燦誠
  Vietnam Nguyen Quynh Chi
  Japan:八重樫聖 今井あゆみ 中島彰宏 鎌田健二+花崎攝
   
  無音の音 No music???Sound
無体の身 No action?-Body
無目の視 No looking??-See 
無境の心 No emotion?mind

稽古場に見て感動がある Perspectives deeply touched by the Performance
  参加劇団:DA・M Clash
  Shin Bao Dao Blind Theatre 
 

1998年、盲目のアーティストChen Kuo-Pingにより創立。台湾で初めての全盲の、また視覚障害者によって設立された劇団。2001年、著名な身体表現の研究者である、Wnag Mo-lin氏を芸術監督として迎え、外国の多様なジャンルのアーティストとの共同作業を続けてきている。同時にまた、目や耳や足の不自由なアーティストを招待しているフェスティバル”Festival of the Sixth Senses" "Colour Fantasy Festival" を毎年開催し、彼らが価値ある芸術に寄与することで障害者の可能性をより公共性のあるものにしようとしている。相互交流によって情報が交換され、好奇心が満たされ、無視や恐れが取り除かれていく。このような活動によって、多様なグループ間の認識と理解が獲得される。
盲人たちは光と色が想像力の中にだけある闇の世界に住んでいる。彼らは自分の体と他者に触れることによってしかその具体的な存在を受け止めることができない。しかしながら、このプロセスは盲人たちの動きをユニークで鋭敏なものにしている。私たちは今、不定形な身体地図を共に持って際限のない新たな開拓地への冒険に招待されている・・・・


Works:
1998《Angles in the Night》1999 Dec《Please Listen to Me》2000 July 《Lottery Mania》
2000 Dec 《Fluter, the Night is Young》2001 Dec《Black Hole》,《Beyond》
2002 Dec《Outside the Black Hole》,《the Nudeness of the Eyelid》2003 Apr.《Dance Baroque-the Prison of Eyes》
2003 July 《Listen, Watch?, and Stop》,Kafka's《the Warden of Tomb》

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 ゴキブリコンビナート GOKIBURIKONBINATO    Tokyo, Japan

キケン、キタナイ、キツイの3Kミュージカルを特徴とする劇団ゴキブリコンビナート。底辺層の生活を克明に描く作品群は泥臭く息苦しいなかにも微妙なユーモアが漂っており、痛みを伴ったお笑い、嫌悪を伴った娯楽として定評を得ております。今回、額縁スタイル+舞台を他の集団と共有という形式がイベントの趣旨上決まっているため、いつもは服が汚れるのも嫌だし、怖いしでなかなか行けないというお客様も安心してご覧になることが出来るでしょう。国際色あるイベントなので、テーマも植民地、奴隷売買、民族対立、石油利権と、大風呂敷を広げたいところです。どこにでもある家庭や学校や職場の描写から始まっていつの間にか人類が大昔から繰り返してきた愚行、人間が始まったときから宿命的に背負ってきた病的な部分が浮き彫りになる。そんなミュージカルにしたいと思っております。

 
作品  『ジャハンナム』ジャハンナム JAHANAMU 
  出演者:オメス吉祥寺 Omesu Kichijouji 古澤祐介  Yusuke Hurusawa
スピロ平太 Supiro Heita セロトニン瘍子 Serotonin Youko
  作/演出/美術/音楽 Dr.エクアドル DOKUTA EKUADORU

表現は多様であるに越したことはありません。無惨に殺戮されるチベット人達の胸中はいかなるものか?そこから出てくるものを私は見たい。漢民族に蹂躙される高砂族の魂の叫びに耳を傾けたい。あなたの国の空を飛ぶのはF15ですか?どの国の生活がうらやましいですか?どこへ行っても真理は一つ。「搾り取り、搾り取られて生きるのさ」。これ人類の宿命。手を合わせ、地にひれ伏して、誰の不幸を祈るのですか?地を這い、泥を啜り、足を引っ張り合って生きているあなた方に、夢の言葉を手向けましょう。「罪は拭えない。出口はない。墜ちるところまで墜ちるだけ」さあ、一緒にうなされましょう。もがきたくとも手足すら重い鎖で囚われているとき、どんな呻きを放ちますか?私はそれが聞きたいのです。ふかふかの絨毯の上の生活から紡ぎ出される「芸術」などというものを私の視野に入れないでください。

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● 流山児★事務所

エジプト、ロシア、韓国、カナダ、中国など世界20都市以上を巡り、「人間の自由意志と宿命の対立を描く超現実ドラマ」「魅惑的な社会風刺劇」といって評を受け、ビクトリアでは国際演劇祭グランプリを受賞。観客総立ちのスタンディング・オベーション。革命劇は世界共通である!!事を体感し今、尚進化し続ける『狂人教育』。1962年、60年安保闘争の後、25歳の若き天才劇詩人寺山修司が書き上げた人形劇台本を演じる6人の女優と人形遣いを演じる男優の物語に再構築し上演する。消費される演劇だけが  する現在、演劇の成立基盤や制度を揺るがすような前衛劇であるテラヤマ作品は世界言語と成り得る。社会性と人間の尊厳、支配者(権力)と民衆、メディアとそれに操られる大衆という対立する構造のもとに際限のない入れ替わりの悪夢を描く「オペレッタ風現代喜劇」。テラヤマ没後20年を迎えた今年、生々しくエネルギッシュな見世物(大衆)実験演劇が東京に帰ってきます。お見逃しなく!!<流山児祥生誕56年記念公演!!>

作品   『狂人教育』〜Educating Mad Persons〜
  作:寺山修司  演出:流山児祥  音楽:本田実  英訳:青井陽治
  出演: 青木沙織・米山恭子・伊藤弘子・木内尚・井沢希旨子・うね部七歩・沖田乱・V銀太・本田実・谷宗和・イワヲ・竹内大介
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● OM-2

ベルン→グダンスク→ワルシャワ→東京→金沢→アテネ→シテティン→ベルリンを横断してきた作品なのですが、今回はそれをAsia meets Asiaのためにプチっとしました。 
最近、OM-2が昔やっていたような作品をまた観たいとよく言われますが、私たちとしては私たちなりの<今>を実験していますのでOM-2の現在を観てください。 
ちなみに、このあと、12月公演(ハイナー・ミュラー/ザ・ワールド参加)、2月大阪公演(フィジカルシアターフェスティバル参加)、3月公演と続いて大忙しですよ本当に。がんばります。

作品  『プチ いつか死んでゆくであろうすべてのものたちへ』
構成・演出:真壁茂夫
  出演:佐々木敦、中井尋央、村岡尚子、柴崎直子、内田久美子、掛川祐子、浅村信夫、他
 

   
To 2005